東海林翔流 の場合
【a::あなたの華麗なる一日】
(『お前の走りたい道を全力で駆け抜けろ。』──不良になると決起した十五の夜。世界でも指折りのF1レーサーの父親に背を押されてから早三年、鏡に映る己の姿は入学当時と比べて逞しくなった。スピーカーから流れるモーツァルト・オーボエ協奏曲ハ長調K.314/285b第1楽章を聴きながらワックスでビシッと出来る漢の髪型を整え、クリード アバントゥスのオーデパルファムを手首に少量プッシュして。すっかり着慣れた白薔薇学園の制服へと袖を通し、片手で引っ掴んだ鞄を肩に凭れかけては準備は万端。燦燦と注ぐ朝日の下、煌びやかな光を放つ首環を付けた二匹の愛猫の背をそっと撫でては「そんじゃ、行ってくる。」リビングダイニングで仲睦まじく朝食を摂る両親へと声を掛ける事も忘れずに。玄関に提げてある猫のマスコット付きのバイクのキーを片手に靴を履いている最中『カケルちゃん!今日のお夕飯、なにが食べたい?』背に甘い母の声を聴けば紫陽花色の眼差しだけをそちらへ向けて。)──牛肉の赤ワイン煮込みパイ包み。(何十年と歳を重ねても恐ろしいほど変わらない厚塗り化粧の現役レースクイーンの母に見送られ、七時半には家を出る。これが東海林翔流の日常。優雅な一日のはじまりである。)
(──放課後を告げるチャイムが鳴り響く。身支度を整え、起立と礼の号令に習い解散すれば、そこからは生徒個々が思い思いに活動出来る時間となる。「カケルさん!今日の部活は何やりますか!」「僕はチェスがしたいです!」「俺はフェンシング!」己もまた自らが立ち上げた楽園部の部室へと向かうべく廊下の右側を堂々と闊歩していれば常のように仲間たちが集まり、ぞろぞろと行儀よく縦に並んで廊下を練り歩く姿もこの学園では最早珍しいものでは無くなったであろう。己が立ち上げた楽園部はその名の通り、己が好きな事をする為だけの部活動である。寿司が食べたいけれど焼肉も食べたい、そんな欲求を満たす為に様々な料理を並べるビュッフェというものがあるように、楽園部もまたテニスがしたいけれど将棋もしたいというような、まさに文武両道を極めた優秀な白薔薇学園の生徒に相応しい自由な部活動なのである。というのはあくまで自己評価ではあるが。されど勿論、秀でた生徒の集う学園だからこそ唯一に誇りを懐くものも居るがゆえに「おい、貴様。」そんな風に声を掛けられる事も決して珍しくはない。振り返った先に佇むは金糸の気品漂う紳士。チェス部の部長を名乗る男曰く、チェスがやりたいのならば中途半端に手を付けるのではなく正式に「チェス部に入れ。」との事。尤もな言い分だ、だが引く訳にもいかぬだろう。好戦的に口角がつりあがる。)ほーう、俺に喧嘩売るとは上等じゃあねえかコラ。タイマンするってんだな!この俺と!……おい!休日の体育館の使用予定表を確認して来い!(とは、後ろに控える仲間たちへの言葉。己の声を聞くなり職員室へと足早に歩いて行く複数人の姿を確認しながら、胸ポケットから取り出したものは無論メリケンサック──などではなく、細かい字でびっしりと綺麗に予定が書かれたスケジュール帳だ。)──…で、だ。予定は何時空いてる?生憎と俺は今週の土曜は別のタイマンが入ってて、日曜は外出の予定があるんだがー……ああいや、来週の日曜はカズの誕生日パーティーが入ってんだったわ。よけりゃあアンタもどうだい。人数は多けりゃあ多い方が楽しいだろ、カズも喜ぶだろうし気にするな。(終いには脱線した話も、職員室より仲間が戻って来る頃には元の道へと戻ったであろう。確認した結果再来週の土曜日に楽園部のチェス盤を掛けたチェス部とのサシでのタイマン≪チェス対決≫が決まり、スケジュール帳へもしっかりと記載して。先に部室へ戻っていろと背を押した仲間たちの許へと向かうべく歩みを進める、その前に。)──よお、ヒメ。今日は珍しくひとりか?(桃色が目に入ってしまったが最後、如何して無視する事が出来よう。彼こそがテッペンを取るには避けては通れぬ最後の試練。日々アタックを続けても響かぬ、まさしく白薔薇学園の薔薇たる男。)折角だしよぉ。何時になったら俺とタイマン張ってくれんのか、今日こそ答えを出して貰うぜ。(逃がさぬとばかり進行方向の壁に手をついて、身体を押し付けるように正面から壁際へと彼を追い遣る。男色の趣味はない。されども斯様に可愛い貌をした男ならば女と変わらず愛を囁く事に不思議と抵抗は無かった。イエスと首を縦に振るまでは逃がさないと行動で意思表示を示しながら、彼を見詰める紫陽花色の眸をほんの少しだけやわらげて。されど白薔薇学園のテッペン、否、人気者のお姫様を独り占めに出来る時間はそう多くはない。束の間のふたりきりの内に念願のタイマン勝負にこぎつける事は叶うか否か──結果は後日、躍起になってヒメを探して校舎を練り歩く長ラン姿がすべてを物語っていただろう。)