巽圭一郎 の場合
【c::シチュエーションフリー】
(――雷に打たれた衝撃というのは、きっと、このようなことを指すのだろう。去りし日のことだ。白薔薇学園高等部、入学式。薄紅の花弁が雪のごとく舞い散る桜並木のもと、見かけたそのひとの姿が、まだあどけない一年生の心に火をつけ、紅蓮の炎を解き放つ。愛の目覚めや、ましてや歓喜に打ち震えたのではない。そう。少年は激怒していた。「ヒメ、今日も美しい。」「ヒメ、お前の前ではこの桜吹雪も霞んでしまう。」「ヒメ、待ってくれ!」「ヒメ……」「ヒメ……」うんぬんかんぬん。口々そろって愛を乞う雄々しき男たちに囲まれて、どこか困ったようにほほ笑むひとりの男子生徒。そう。これも男だった。当たり前だ。由緒正しき、気高き男児の園において、誰も彼もが夢中の存在。姫路輝夜。――ああ、なんという侮辱だろう。この場へ立つ己に、傾国顔負けとの呼び声も高い歌舞伎界の若き至宝に、一瞥さえくれぬ輩がこうも大勢のうのうと息をしているとは。天より高い矜持が燃えさかり、ちっとも我慢がならなかった。ならなかったが、ここで喚き散らし、当たり散らすのは三下のすることだ。ゆえに、女子生徒と見まごう可憐な容貌はそのままに、苦虫を噛み潰したような呪詛が、小さく押し殺されてはこぼれ落ちた。)……姫路、輝夜……。(ああ、忘れはすまい。打倒すべき仇の名を。とはいえ、そのまま、成り替わるように地位を手に入れるのではおもしろくない。屈服させ、みずからその座を明け渡すように仕向けなくては。そう。だから手に入れる。数多のエリートたちの求愛にも、頑として頷かぬと言うのなら。)この、ぼくが。初代・市松菊之丞の再来と謳われる……女形の、このぼくが、ただの格闘家風情なんぞに負けるものか!(そうして――時は流れ、二年生の冬のこと。『バラ学で一番カワイイヤツは誰だ?』アンケートでいつだって一位に大差をつけられて、万年二位に甘んじる少年は、嫉妬に身を焦がしながら、それでも求愛の輪の中に加わっていた。今日も今日とて他のライバルと同様、けんもほろろに袖にされ、三々五々、敗者たちがそれぞれの教室へと戻ってゆく。)……ハァ!?(そんなさなかのことだ。ひとつ上の三年生らしき男子生徒に腕を掴まれ、人気のない廊下で引きとめられた。さてはて、肌寒くなると人恋しいのか、なんともヘンな輩が湧くらしい。つらつら立て板に水のごとく並べられる御託を聞き流してみるに、どうやら、いつまでたってもつれないヒメに痺れを切らし、手頃な二番手で手を打とうとのこと。「お前にとっても悪い話じゃないだろう?」瞬間、頭にカッと血が上りかけて、みるみるうちに冷えてゆく。カオもカネもお持ちだそうだが、相性としてはまあ最悪だった。)ふぅん。人肌恋しいんだ? セ・ン・パ・イ。(つつつ、と相手の胸板に人差し指をすべらせシナをつくる。いかにも受け受けしい、紅顔の美少年が攻め手の仲間入りをすれば、こういうことはままあった。かの仇ほどではないが、己とて、制服の下にはたゆまぬ鍛錬に裏打ちされた、しなやかな筋肉が息をひそめている。こういう色ボケ爺なんぞは、ちょちょいと腕を捻ってやってもよかった――のだが。)いいよ。あっためたげる。……だけど、最後に上にタつのは、さあて、どっちかな……。(ふふふ。そんな小悪魔な笑みが空き教室に消えて、数十分後。カラカラと引き戸を開けて出てきた少年の背後では、遮るもののない尻を天井に突き出し、なんとも幸せそうにのびている男子生徒が転がっている。風邪を召そうが知ったことか。)次の一票、ゴチソウサマで~っす。……ったく、勘違い野郎の多いこと。(見た目と中身が比例するとは限らない。己は一番の称号が欲しいのであって、モテてモテてモテまくりたいわけではないのである。気怠げに崩した詰め襟も、次の角を曲がる頃にはきちっと揃えて、少年は颯爽と歩いてゆく。手練手管で油断させて、隙をついて上をとる。それが巽圭一郎の戦法だった。)