獅子原暁生 の場合

【a::あなたの華麗なる一日】
(音が聞こえた。顔を湿ったなにかで撫でられる。目を薄く開けば、そこにいるのは愛しいペットだった。その子のべろんと飛び出た長い舌に舐められたのだと気付いて、寝ぼけたまま笑った。愛犬の毛皮が素肌にやわらかく当たる。手を伸ばしてスマートフォンのアラームを止めた。)おはよう、カエサル。起こしてくれてありがとう。(キングサイズのベットは超大型犬と寝そべってもまだ余裕がある。寝転んだまま良い子と愛犬を甘やかしていれば、部屋の入り口から声がかかった。執事の樋口だ。)おはよう、樋口。分かってるよ、学校に遅れるって言うんだろ。着替えたらすぐに行くよ。(「カエサルはまだ寝てて大丈夫だからね。」犬の鼻を一撫でしてベットから降り、下着を身に着け、制服を抱えて洗面台に向かう。樋口からだらしないと叱られても怒らないでよと笑った。)ああ、見てよ、樋口。父さんと母さんから連絡が来てる。動画つきだよ。今はドイツだって。寒そうだなあ。(品が悪いと言うお小言も適当にいなして朝食を食べながらスマートフォンに映る両親を見て言った。)今って良い時代だよなあ。国際電話なんかしなくてもこうして連絡が取れるんだから。あ、そうだ。ぼくも写真送ってあげよう!愛する息子は元気ですよって教えてあげないとね。(珈琲とスマートフォンを手に取って席を立つ。窓辺に立って一枚写真を撮った。「おはよう!こっちは朝だよ。樋口が煎れてくれた珈琲は今日もおいしい!学校に行ってきます!」メッセージと一緒に写真も送る。タワーマンションの最上階から撮った写真は何物にも邪魔されずよく晴れた空が映っている。)よし、これでいいや。樋口!もう出るから下に行ってて!ぼくはシャルルとピョートルに挨拶してから行くよ。じゃないと下でずっと車待たなきゃいけないし。(寝室に向かって「カエサル!行ってくるよ、良い子でいてね!」と声をかけ、部屋を出る。ワンフロアすべてが自室だ。別の部屋でくつろぐペットたちのなめらかな毛並みを堪能して、鼻先に行ってきますのキスを落としてエレベーターに乗った。コンシェルジュに見送られ、玄関前に止まった真っ赤なスポーツカーの助手席にドアを飛び越えて乗り込む。走り出したスポーツカーの中で樋口が「この車での登校を考え直されては?」と聞かれ、スマートフォンのゲーム画面から顔をあげずに声を張り上げた。風の音がうるさい。)どうして?狙撃でも心配してる?(聞けば肯定があった。口を大きく開けて笑う。)樋口は心配性だなあ。例え狙撃されたとしたって、ぼくに当たるはずがないよ。こんなにみんなに愛されてるんだから。でも、そうだなあ、ここで打たれて脳をぶちまけたら、樋口がかき集めてよ。ジャクリーン婦人みたいにさ。(不謹慎を窘める声に歌うように返した。「不遜は若者の嗜みだよ。」車が校門前でゆっくりと止まる。降りて坊ちゃんと後ろから聞こえる声に体ごと振り返り、両手を広げる。)分かってるよ、樋口。全部分かってる!心配なんだろ。ぼくがこの学園のおヒメさま争奪戦に関わるのがさ。負けて傷ついたり、そうじゃなくても名家のみんなと不仲になったりしないかって。ありがとう、でも、心配しなくていいよ!(片手を心臓の上に置き、にっこりと笑って見せた。安心させるようにゆったりとした口調で言う。)ゲームの優勝も友情も恋もなにもかも手に入れてみせるよ。依然として、この世界の最優はぼくだ。(「それじゃあ行ってきます、気をつけて戻ってね!」くるりと踵を返して校門に走り出す。途中同級生を見つけておはようと肩を抱く横顔には陰りは一つも無く、白い詰襟に見合うだけの快活さと自信に満ちている。)